生徒と話していたときのこと。
「北里柴三郎」を「北里”紫”三郎」と書いていた。
僕「柴三郎の柴は、柴刈の柴やで。お爺さんは山へ柴刈に〜の柴って知らんの?」
生徒「はい、知らないです」
僕「知らんのはしゃあない。柴っていうのは山に生えてる雑木よ。
取ってきて竈門で煮炊きをする時に使うもんよ」
平然と説明はしたが、こういうところがクリティカルだ。
この生徒だって、桃太郎ぐらい読んだことはある。
「お爺さんは山へ柴刈に、お婆さんは川へ洗濯に」ぐらいは言える。
でも、柴刈がなんのことかを分かっていない。
柴刈とは何かを自発的に質問できたら素晴らしい
そうもいかないのが普通の生徒だ。
とりわけ桃太郎を読んで聞かせるような時代には、だ。
ということはここで問われるのは親の責任というやつだ。
ただ読み聞かせをしただけで終わってしまってませんか?
読んでいる最中に「柴刈ってなんだろう?」「なんで川に洗濯に行くのか?」
というような対話で思考を促したり、そこをきっかけにして知識を伝えたり。
そういうプラスアルファの部分が、子供の学力をクリティカルに伸ばす。
料理だって基壇は大事だ。
でもその基本の上に一味加えて一手間かけるから、いい料理になるはず。
そうした小さな積み重ねの先に、一安心がやってくるのだ。
神奈川県相模原市中央区矢部 数学特訓 青木学院です。