受験生だと自分を認識すれば受験生だとも思う。
一方で、受験生として応援されるのが受験生だとも思う。
応援は、自分の行動が受験生として見られる・扱われるのに相応しいレベルである証だ。
一生懸命やっていれば、その姿は誰かの心を動かすことがある。
渋々、嫌々、不承不承やっているようでは応援もされにくい。
スポーツの応援を思い浮かべてみるといい。
いつもやる気なさげに、ため息をつきながらプレイしている人間が応援されるか?
全力でプレイしているから、応援したくもなるのだろう。
受験生だって同じことだ。
応援されるぐらいになってからが、本番だ。
神奈川県相模原市中央区矢部 数学特訓 青木学院です。