英単語がわからない時に英和辞典を引かない人はいない。
だが、国語となると途端に国語辞典を引かないのはなぜか。
日本語は漢字が表意文字として働くことも多い。
それと文脈とを合わせれば、何となくの理解はできる。
しかし何となくの理解とはぼやけたものだ。
すりガラス越しに眺める風景だ。
すりガラスを何枚も重ねていけば、いずれ風景は輪郭さえ見えなくなる。
ぼやけた理解のままで学習を進めるというのは、そういうことになる。
小学校の国語の授業で辞書引きをやるのは、その時だけ辞書を引けばいいというものではない。
他のすべての学習行動同様、その日以降の未来永劫やって欲しいことを教えているのだ。
少なくとも100点を取るまでは、ずっと辞書を引き続けるのが当たり前だ。
僕は国語で偏差値70を超えていた高校時代でも、クラスの誰より辞書を引いていた自負があるぐらいなのだから。
神奈川県相模原市中央区矢部 数学特訓 青木学院です。