賢い人間かどうかを、さまざまなリトマス試験紙で判定する。
賢いとは今テストの点が高いかどうかというくだらないことではない。
今から未知のものに相対した時にどれだけ世界を広げる人物かということだ。
賢い人間にあるのは過去の数字ではなく未来の輝きだ。
例えばこういうリトマス試験紙がある。
「自分の理解できぬものをばかにして笑うのは人間のつねである」
賢い人間は常に、自分がわからないことや知らないことに対して謙虚になる。
わからないものをわかろうとし、知らないものを知ろうとする。
己の力の不足を認め、まずもって姿勢を正して向き合う。
しかし賢くないものは、自分の知識や理解の不足を相手に押し付ける。
「自分が知らないものなど大したものではない」
「自分がわからないことなど、わからぬようにしている他者の不足だ」
こういう考え方でいる限り、自分の力を磨こうとは絶対にしない。
そして磨かぬものに賢いものなどいない。
僕たち塾の人間にも、自分の力を磨かないものがいかに多いか。
優れた指導者諸氏が、いかに力を磨き続けているか。
では、教わる側はどうかな?
神奈川県相模原市中央区矢部 数学特訓 青木学院です。